
前回のブログで、娘が「嫌い」と初めて言えた日のことを書きました。
今回はそのあと、私自身が感じたことを、少しまとめてみます。
安全地帯に見えてしまう優しさ
娘の友達関係や学校生活を見守る中で、ふと気づいたのです。
「娘の優しさが、誰かにとっての"安全地帯"になってしまっている…」
それは、自分にも覚えのある感覚でした。

それは悪いことではありません。
しかし、HSPやHSCの私たちは、安心できる雰囲気をまとってみえるそうです。
心が荒れている子や問題を抱えている人が、無意識のうちに寄ってきてしまうのです。
優しさは、誰かの痛みを引き受けることではない
ここで大切なのは、「やさしさ」と「全部引き受けること」は同じではないということ。
私は、この区別がつかず、人間関係でたくさん苦しい思いをしてきました。
実は、前回のお話の背景には、このようなことがあったのです。
チーターの子
実は、お母さんが赤ちゃんを産んだばかりでした。
チーターの子の心は、消化しきれない不安でいっぱい。
その気持ちが少し強い言葉として出てしまったりしていたのかもしれません。
チーターのお母さんの事情に心を痛めつつ、「私の子ぐまを守る」と自分に言い聞かせます。
娘に、チーターの子の気持ちや家庭の事情を背負わせないために。
「境界線」を持つ優しさ
相手の事情や心の状態が理解できても、それは相手の問題。
チーターの子は、自分の理不尽な言動に気づいていない。でも、それを娘や他のお友達にぶつけていいものではない。
全部を受け止めてあげる必要はないのです。全部を許す必要もない。
それが成功経験となり、その行為が許されると勘違いしたまま進んでしまう…。
それは、相手にとっても本当の優しさにはならないのです。

自分と相手の間に境界線を引くということが、本当の優しさなのだと思います。
誰かのためじゃない、自分たちのための安全地帯
優しさに"境界線"を持てると、もっと生きやすくなります。
誰かの痛みを引き受けることなく、自分の心を守りながら、世界と関わっていく。

私たち親子にとって、安全地帯は自分たち自身で作り、守るもの。
安心できる環境の中で、少しずつ心の成長を支えていけたらと思っています。
ありがとうございました!
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