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チーターの子とのトラブルから、ようやく学校に行けるようになった娘。
それからも、過覚醒によって目の下にクマができたり、頻尿に悩んだりしていました。
そんなある金曜日の夕方、娘から電話がかかってきたのです。
――「ママ、迎えにきて。」
その声に、少し嫌な予感がしたのです。
公民館に迎えに行く途中、娘と約束したはずの3人のお友達の自転車が、なぜか公園に。
喧嘩でもしたのかな?と思いつつ向かいました。
――「トイレに行ってたら、いなくなってた」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がキュッと締めつけられた。
娘は、車から公園を眺め、
――「みんな心配してるかな…」
置いていった友達に悪意はあったのか?
――どうして1人を置いていけるの?
――なぜ置いていかれた娘が、置いていった友達を心配するの?
私の心の中は疑問だらけで、悲しい気持ちになりました。
でも、よく考えると、悪意はなかったのではないかという気持ちになったのです。
その3人は、娘を見かけるといつも大きな声で名前を呼び、駆け寄ってくれるようなお友達。
そんな悲しいことを考えるはずがない…

もしかしたら、子どもたちは「置いていこう」と思ったわけではなく、「誰かの流れに乗っただけ」だったのではないか…
そこには悪意などなく、ただ「公園で遊びたい」という欲求や「次は何するんだろう」という好奇心で、突き進んでしまったのでは…
また、集団の中では「誰かが決めたから」と動いてしまう現象があるそうです。
「○○ちゃんがまだ来てない…」と見えていた子でも、みんなの行動についていってしまっただけなのかもしれない。
低学年だったら仕方ないことかもしれないと感じました。
娘の心に残った小さな傷
「みんな心配してるかな…」と言った娘。
声のトーンは普段通りなのに、表情は曇って見えたのです。
その姿は、感情を感じないよう、必死で自分を守っているように見えました。

この小さな見捨てられ感を、深く受け取ってしまったのでは…
また学校に行けなくなる。
そんな気がしましたが、私は月曜まで見守ることに決めたのです。
「学校に行きたくない」
月曜日、私の予感は当たりました。
――「学校行きたくない。悲しかった。」
娘は、週末元気を装っていましたが、心はずっと悲しかったのです。
友達とのことは、何かあった時ほど確かめに行った方がいいと思いました。
友達は、何事もなかったように「おはよう」っていう子もいれば、心配していて「ごめんね」って謝ってくれる子もいるかもしれない。
このまま休んでも、きっと心が苦しいままだから。
でも、娘が選んだのでそうすることにしました。
ただ、外の世界に出る勇気がなくても、視野がギュッと狭くなったままではだめなのです。
親として、「子どもたちが学びの途中にいること」だけは伝えることにしました。

その次の日も、娘は休みました。
でも、私の中に焦りはありませんでした。
娘は、きっと伝えたことを理解していて、自分の気持ちとのバランスをとっているのだと…そんな気がしていたのです。
心を整える作業が必要
担任の先生から「○○ちゃん調子はどうですか?」と電話がありました。
そして、娘の希望により、今回は、私から出来事を伝えることになりました。
担任の先生は、私と同じ考えを持っていて、こう言ってくださいました。
お母さんの言っていることは伝わっているはず…
必要なのは、学校へ向かうパワー。
それは、私の役割だと思う。
同じ内容になるけれど、しっかり伝えますね。
娘にとって、私たち大人の話は納得のできないことだったのかもしれない。
チーターの子とのトラブルのように、悲しい思いをしたら「ごめんなさい」が欲しいはず。
でも、まだみんな学びの途中。
それは、チーターの子とのトラブルで学んだこと。

親は、安心して過ごせる居場所をつくり、視野を広げてあげる。
担任の先生は、外の世界の様子や声を届け、学校へ力強く引っ張る。
娘は、出来事から学び、心を整えていく作業をする。
時間はかかっても、娘の心の成長には必要なことなのです。
ようやく、学校に行くことが出来ました。
娘と友達の優しさの違い
私はこの出来事をきっかけに、「優しい」と一言で言っても、その中には違う種類の優しさがあるんだと考えました。
そして、学校に行けるようになった娘に、次のような話をしました。
娘は、人の心の動きにとても敏感。
小さな表情の変化にも気づく、「人の感情を感じ取る優しさ」を持っている。
一方、友達たちは「その場の空気を大切にする優しさ」を持っている。
周りと歩調を合わせ、場の雰囲気を壊さないように動ける。
どちらも優しさ。
ただ、感じ取る深さや方向が少し違うだけ。
娘は心の奥で相手を感じ、友達たちは空気の表面で関係を整えるような…
深い・浅いではなく、優しさの見え方が違うだけなのかもしれないと。
娘が気づいた友達の気持ち
娘は、私の話を聞き、気づいたことがありました。
「最近トイレが気になってたでしょ?
あの日も、トイレが気になってばかりだった。
みんなが何をしたいか見えてなかったかも。」
頻尿に悩んでいた娘は、夕方の遊びの中でも頻繁にトイレに行っていました。
それでも、友達と遊びたかったのです。
でも、集まるのは公園。
トイレは、徒歩5分の公民館まで行かなければなりません。
娘の頻尿に心を痛めていましたが、娘がトイレに行くたび、誰かについてきてもらっていることは申し訳なく思っていました。
しかし、頻尿で悩む娘に、それを伝えることは出来ずにいたのです。
でも、娘は自分で考え、気づいたのです。
それは、「その場の空気」は見えてなくても、「人の感情」をよく見ていたから気づけたのかもしれません。
トイレの心配が1番にあったけれど、見えてなかったわけではないのです。
そして、娘はこう決めたのです。
夕方、遊びに行く時間を短くする。
自分がトイレのことを心配しなくていいように。
友達をトイレに付き合わせてしまわないように。
みんなで楽しく遊べるように。
友達が気づいた娘の気持ち
数日後、娘がふと私に報告してきたことが…
3人のうちの2人の子が、それぞれ別の日に、謝ってくれたそうです。
「この前は、どうしたらいいか分からなくて、
2人について行っちゃったの。置いて行ってごめん。」
「この前は、置いて行ってごめんね。
その時は、公園に行くことに夢中になってた。」
2人のお友達は、あの出来事が心にあって、時間をかけて娘の気持ちを考えてくれたのです。
そして、それぞれ、自分の意思で勇気を出して伝えてくれた。
子どもたちの心の成長を感じ、嬉しく思いました。
心の成長はそれぞれ
人の気持ちに気づく力は、時間をかけて育つ能力なのだそうです。
低学年までは、「自分がされたらイヤ」までは理解できる。
でも、相手の立場まではまだ理解するのは難しい。
高学年になると、「○○ちゃん悲しかったかも」と想像できるようになるのです。
だから、もう1人の子もいつか、気づく時がくるはず。
そして娘は、これから「その場の空気を大切にする優しさ」を学ぶのです。
子どもたちの心の成長はそれぞれペースが違えば、学ぶ順番も違う。
これからなのです。
親としてできること
優しさには、心で感じる優しさもあれば、空気で守る優しさもある。
いろんなかたちがあるからこそ、その違いが、子どもたちを少しずつ成長させていく。
そしていつか、気づいた子から世界がもっとやさしくなる。

娘の抱えている頻尿の問題は、彼女が悪いことではないからこそ、葛藤がありました。
しかし、今回、娘は自分で頻尿と向き合い、心の回復への方法を見つけました。
そして、それは自分のためだけでなく、友達、その場のみんなへの優しさでもあったのです。
親ができることは、安心できる居場所でありつづけ、視野を広げてあげること。
チーターの子とのトラブルでの学びを、今回は実践できたのではないかなと思っています。
ありがとうございました!
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