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私は昔から、子どもが苦手でした。
でも、子どもが嫌いなわけではありません。
それは、子どもを「可愛い」と感じても、軽い気持ちで触れ合えなかったからです。
そんな私と、子どもが好きな旦那さん。
真逆な夫婦は、「子ども」に関しても真逆だったのです。
子どもが苦手だった私が"ママ"になる過程。
子どもを授かることで生じた夫婦の温度差。
そんな夫婦が歩幅を合わせられるようになった道のりを、書いてみたいと思います。
「子どもが苦手なママ」と検索していた、過去の私を思い出しながら。
私は「子どもが苦手」
社会人の頃、先輩に「姉貴の赤ちゃん抱っこしてみる?」と言われたことがありました。
私は「苦手なので…」とやんわり断ったのですが、先輩に4カ月くらいの赤ちゃんを渡されてしまったのです。

「どうしたらいいんですか!?」
「知らない人に抱っこされたら赤ちゃん困りますよ(汗)」
「ママのとこ戻りたそうです(涙)」
ぎこちない私を見て、先輩たちは大笑い…
周囲の人は「まだ何もわからないよ〜(笑)」と言うけれど、赤ちゃんの目は…と私は思うのです。
大切な命を絶対落としちゃいけないというのは大前提にありつつ…
気持ちを感じ取ってしまうのか、勝手に想像しているのか分からないけれど、ただ抱っこするという行為が、私には重たく感じられるのです。
HSPの私は、相手の気持ちの揺れや空気の変化をすぐに感じ取ってしまう。
その相手が、赤ちゃんや幼い子どもたちであっても。
大人のように言葉に出来なくても、しっかり気持ちがあって、伝えようとしている。
それはきっと、他者との温度差であり、苦手な理由。
「女性は子どもが好き」という見えない枠のようなものも、居心地が悪くて…
私にとって、子どもと過ごす時間は、ただ「楽しい」ものではなかったのです。
旦那さんは「子どもが好き」
旦那さんは、子どもが大好き。
「小学生みたいに遊べばいいじゃん!」という言葉の通り、無邪気に子どもに向き合える人でした。
親戚にも小さな子がいて、接する機会が多かったこともあり、慣れていました。

旦那さんにとって、子どもと過ごす時間は「楽しい」もの。
深く考えすぎず、まっすぐで、純粋に向き合えるからこそ、子どもが好きだったのです。
真逆の夫婦が、親になる道へ
旦那さんから、結婚してすぐに「子どもがほしい」と言われました。
私は、そう言われることは覚悟していましたが、その覚悟はありませんでした。
――私は、子どもを可愛いと思えるのか。
私は、しばらく悩んでいました。
何も考えずに飛び込むには、とても責任の重い道だったからです。

でも、ふと思い出したのです。
自分の殻から抜け出したから、旦那さんと出会い、結婚したことを。
自分の殻に閉じこもらず、自分軸を大切にしよう。
――家族をつくっていこう。
夫婦の間にできた温度差
妊娠が分かった時、素直に嬉しかった。
でもそれと同時に、悪阻が酷かったからなのか、HSP的な気質がさらに敏感に働いていたからなのか、辛い日々が始まりました。
気持ちが現実に追いつかず、必死だったように思います。
だから、身体的な変化を抱える私は、旦那さんとの温度差を感じずにはいられなかった。
それは、旦那さんが悪かったわけでもなければ、私が悪かったわけでもない。
私は、おなかに赤ちゃんがいるからこそ、胎動、食べ物、動き、姿勢、温度、すべてに気を配る。
でも当時の旦那さんは、察することが出来ないからこそ、意識したり、知ろうとしなければ分からなかった。

一方で旦那さんは、社会的に「もっと頑張ろう」と責任を感じてくれていたはず。
でも当時の私は、自分の身体の変化に必死で、自分の殻に閉じこもっていたから見えなかった。

妊娠・出産による身体の変化も、社会的な責任も、一緒に背負うのは難しいのです。
お互いの見えないものを背負い、お互いの背負ったものを気づけなかった。
真逆な夫婦だからこそ、連絡・相談・報告のような仕組みが、より夫婦間に必要だったのかもしれません。
我が子を迎えた日
我が子を抱っこしたとき、初めて「愛しい」という気持ちが自然にあふれました。

同時に、こうも思ったのです。
――この子は何を感じて生きているんだろう。
子どもが苦手な私が、自分のまま、我が子を好きになった瞬間でした。
真逆な夫婦の子育ての始まり
私たち夫婦は親となり、子育てが始まりました。
私は、新生児の頃から、娘を1人の人間として向き合っていました。
だからこそ、娘が起きているのにも関わらず、旦那さんが抱っこしながら携帯を触ることが嫌でした…
娘は、日々成長している。
手足を触ってあげたり、声をかけてあげたりすれば、感じるものはきっとあると思っていました。

旦那さんは、察したり、深く考えたりしない。
娘が可愛くないわけでもなく、育児を放棄しているわけでもなく…
赤ちゃんは、赤ちゃんという感覚。
私は、言葉がなくても表情や声から察して、向き合う。
旦那さんは、子どもに分かりやすい反応があってこそ、向き合える。
足して割ったくらいがちょうどいい育児だったと思います(汗)
私の"見えないシェルター"
当時、旦那さんは仕事が忙しく、すれ違いの日々を送っていました。
私は、初めての育児を経験しながら、旦那さんに負担をかけまいと、家事も完璧にやらなくてはと必死だったように思います。
そんな日々の中で、旦那さんの休日は、唯一家族で過ごせる時間でした。
でも、「他人の気持ちを優先」してしまうクセから、旦那さんが趣味の時間を楽しむことをすすめてしまっていたのです。
それは、旦那さんが頑張ってくれているからこその、純粋な「ありがとう」の気持ちだったのに。
結果的に、自分が背負いすぎることを選んでいたのです。
妊娠中の夫婦の温度差は、家族が増えてからも同じように続いてしまいました。
――私は、子育てと家事。
――旦那さんは、仕事。
その結果、私は無意識のうちに、誰も入れない"見えないシェルター"を作っていました。
シェルターの中には、ママと子どもがいて、パパは入り方がわからない。

そのため旦那さんは「シェルターをそっと見守る人」になっていました。
本当は参加したい気持ちがあったかもしれないけれど、私が全力で守っていたことで、入る余地がなかったのです。
パパの入る隙間がなかった
私はずっと「パパを見守る人」にしていたのに、「パパが子育てに参加してくたらいいのに」と思っていました。
でも、旦那さんが入れなかったのは「私のシェルターが頑丈すぎた」から。
私の"察しすぎる力"と"守りすぎる力"で、入る隙間がなかったのです。
旦那さんは旦那さんで、たぶん深くは考えてなかったと思うけど…
でも、距離があるままの日々を、文句も言わず、ずっと一緒にいてくれていた。
本当にもったいなかった。
第三子で「初めての隙間」
そんな私たちが変わったのは、第三子が生まれたとき。
手がどうやっても足りなくなって、私のシェルターに初めて"隙間"ができました。
その瞬間から変わったのは、旦那さんじゃなくて、私のほうでした。
そして私は、「お願い」「手伝って」「助けて」が言えるようになったのです。
子どもとの関りも、家の空気も、夫婦の距離も、家族のかたちが自然に変わっていった。
パパを変えたんじゃない。
私が、ふたりで歩けるように変われたから。
夫婦の歩幅をあわせて
世の中には「パパは子育てを手伝うんじゃない、一緒にするんだ!」という、パパに向けての声があります。
私たち夫婦の場合、私自身の向き合い方が変わったことで、ようやく一緒に歩けるようになったのだと思う。

夫婦の温度差があったからこそ、旦那さんの忙しい時期は、上手くバランスがとれていたこともあった。
でも、そうでない時期には、お互いに孤独なこともあった。
その時間があったからこそ、私たち夫婦は結果的に歩幅が合わせられるようになった。
そして、まだまだその途中。
旦那さんは深く考えてなかったかもしれないけど(笑)
それでも長く耐えて、寄り添ってくれていたことに、心から感謝しています。
私がママとしてやってこれたのは、旦那さんがパパだったから。
ありがとうございました!
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