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昨年末、我が家は嵐のようでした。
溶連菌、インフルエンザ、突発性発疹、コロナ、アデノ…
子どもたちが入れ替わり休み、親も体調を崩して、1ヶ月で3日しか仕事に出られませんでした。
「こんな家庭ある?」と検索してしまうほど。
世の中に置いていかれたような気持ちになっていました。
でも、同じような感覚をひとりで抱えている人が、きっとどこかにいる。
この記事は、そんな誰かに届けばいいと思って書きます。
「私だけ、社会にでれていない」感覚
風邪をひいた子どもがいて、自分も、旦那さんも本調子じゃなかった。
家族みんなが、治りきらないまま弱っている状態でした。
順番に復活する。
その一方で、順番に体調を崩す。
風邪の連鎖には、終わりが見えませんでした…
その中で、私だけがずっと仕事を休んでいました。

看病、通院、家事、連絡、調整。
何かをしているのに、ふとした瞬間に浮かぶのは、「私だけ、社会にでれていない」感覚でした。
家で背負う人と、社会で背負う人
子どもが生まれたら、家族の形は自然にできていくものだと思っていました。
でも実際は、気づかないうちに、役割が分かれていく。
私は、休むことを選び、「家で背負う役割」。
旦那さんは、休まないことを選び、「社会で背負う役割」。
どちらも必要で、どちらも必死。
ただ、背負っている場所が違うだけでした。
それぞれの家庭で、誰が、何を、どのくらい背負うかは違う。
我が家は、こういうバランスだったのです。
理解と、しんどさは、別の場所に
旦那さんは正社員で、キャリアを積んできた。
旦那さんの収入があるから、家族が生活できているのも事実。
私は、妊娠を機に退職することになり、専業主婦を経て、現在は午前中だけのパートをしている。
だから、どちらが休むか?という場面では、9割が私になる。
それは、社会が変わり始めていても、会社でも同じことがいえると思う。
勤務時間や仕事内容を比べると、正社員が休むより、パートが休んだ方が痛手になりにくいのです。
「仕方ない」と思う私は、確かにいる。
でも同時に、「なぜ…」そう感じていまう私も、確かにいるのです。
どちらかを否定しなくていい。
理解と、しんどさは、別の場所にあるように思います。
やっと、そう思えるようになりました。
家で背負う人がつらくなる理由
いちばんしんどかったのは、背負う人がひとりに偏ってしまうことなのかもしれません。

家でどれだけ頑張っていても、社会からは評価されない。
家で背負っていることは、驚くほど見えにくい。
それは、当たり前のことになりがちで、家族にも評価されにくいものになってしまうから…
専業主婦の時に、痛いほど痛感したことでした。
家族から「ありがとう」って言われるだけで救われるのに、今日も、見えないところで家庭を回している誰かがいる。
私も、そのひとりでした。
でも、同じように背負う人がいる
私が家の中で必死だったように、旦那さんも、社会で同じくらい必死だった。
本当は家にいたい日も、休みたい日も、きっとあったと思う。

でも現実には、帰れない、休めない、任されている。
そんな責任の板挟みで、動けないのだと思う。
誰が悪いわけでもない。
「働いている方が偉い」わけじゃない
「働いているのは俺だから、俺のお金」
「旦那さんは、ATM」
世の中には、そんな話がたくさんあります。
でもそれは、昔から続く、優劣の価値観や、社会の仕組みの名残。
役割の違いが、いつの間にか上下に変わってしまっただけ…
本当は、家で火を絶やさない人も、外で食べ物を探す人も、
どちらも、生きるために必要な存在なのに。
この矛盾に気づけたなら…
背負っている人に気づけたとき、「ごめんね」でも、「ありがとう」でも、たった一言で、家の空気は変わります。
ママだけが背負う家でもなく、パパだけが社会を背負うわけでもなく、お互いが、気づき合える家へ。

家にいる時間は、「私だけ、社会にでれていない」時間じゃない。
ちゃんと、家から社会を支えているのです。
「働きたい」「社会とつながっていたい」と、その気持ちがあることは、否定しなくていいのです。
その感情を感じた時には、自分の価値が見えていないだけ。
自分にも「背負っている役割」がある。
私も、これを読んでいる誰かも、もっと自分の価値に気づいていけたらいいなと思います。
ありがとうございました。
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